2015年11月26日 08:05
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今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 3
- 402 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)11:21:41 ID:XDn
- 祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。
私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、
変わった人だと言われていたらしい。
背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、
村で一番の庄屋さんの長男がお国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。
が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
英語を教えてもらうようになった。
もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。
日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw
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- この前の連休に帰省した時に、
祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、
例の白い礼服を着た祖父の得意げな写真とか、
アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
ここまで書いたら本人特定されるかな?
この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw - 403 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)12:29:34 ID:ly5
- お祖父さんご無事で何より。
シベリア抑留されたものの、パン係になってパン作りスキルゲット
アーンド出兵前より丸々肥えて帰ってきた人の話思い出した。 - 404 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)12:35:36 ID:XDn
- >>403
ありがとう!
ちなみにうちの祖父も収容所の料理係に任命されて、イギリス料理を習ったそうだけど
帰国しても一切作らなかったらしい。
やっぱりイギリス料理って・・・と思ったw - 405 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)15:08:16 ID:16e
- >>402
じいちゃんすげぇ
対人スキルが高い男って憧れ - 406 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)17:37:33 ID:VHR
- >>404
料理といえるのだろうかw - 407 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)18:56:49 ID:uGf
- >>404
もしかしておじい様が和食を教えてあげたりしたら、今頃イギリス料理の歴史は変わっていたかも…w
- 408 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)20:15:08 ID:2Xl
- >>404
素晴らしいおじいさまなんだね!きっと誰からも好かれるような素敵なダンディな方なのね。 - 409 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)21:23:42 ID:XDn
- 祖父を褒めてくださってありがとう!
祖父は私が幼い頃に亡くなってしまっているので、本人からそのあたりの話が聞けなくて
本当に残念です。
余談だけど、当時祖父のいたところでは他の収容所同様に食料が足りていなくて、
祖父は、島にいた大型爬虫類や野ブタを捕まえて調理するように指示されたそう。
野ブタは巨大すぎてつかまらずむしろ返り討ちに遇い、かろうじて捕まえた大型爬虫類の肉は
残念ながらおいしくなかったと不評だったそうだけど、祖父曰く、それはイギリス風の
味付けだったからであって、味噌か醤油があれば何とか食えたはずなんだけどなぁ、だそう。
本当かどうかは不明ですw - 410 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)23:19:47 ID:SW8
- 何度もごめん、>>402です。
iPhoneからだからID変わってるかも。
ここを姉に見せてみたら、個人的にもうひとつ衝撃的なことが。
「あんた、普通の人に庄屋って言っても通じんよ?」
・・・今まで標準的な言い方だと思ってた!
うちの地元では高度経済成長期頃で村長がほぼ世襲で、
村長の家(つまり祖父や私の実家)を庄屋と言っていました。
今でもその名残で、お年寄りはうちの家を庄屋と呼びます。
普通「庄屋」って言ったら、江戸時代の歴史用語のほうなんですね。
混乱させてしまった方がいたらごめんなさい。 - 411 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)23:43:59 ID:ly5
- いやいや、日本人なら普通に分かるってwお姉さんバカにしすぎwww
今でも使うかというと地域差はあるだろうけどさ
うちの職場にも元庄屋の家柄の人いるよ
今は極々普通のリーマン家庭だけど、地域の人からはやはり丁重に扱われていたな - 412 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/25(水)23:50:00 ID:SW8
- よかった、通じるのか!
田舎もん丸出しで恥ずかしい!って枕に顔埋めたい気分だったw - 413 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/26(木)00:00:35 ID:BNr
- うちの所の庄屋さんちは
県知事と県議を出してるわ
田中角栄なんかも庄屋じゃないけど
それクラス(郷士)の家だったかと
って感じでうちの方の田舎も言うよw - 414 :名無しさん@おーぷん : 2015/11/26(木)00:22:27 ID:WkE
- ごめん、庄屋わからなかったわ。
聞いたことはあるけど昔の偉い家なんだろうなーという事くらいしか知らなかった。
勉強になったわ。
コメント
日本昔ばなし、ありがとう。
おかげで庄屋知ってたよ。
日本昔話をみてたら庄屋さんは覚えるな
何にしろ手に職とコミュニケーション能力は大事だね
あとある程度空気読まない能力ないとサバイバルは生き抜けないんだなぁ・・・
スキルの問題でなく精神レベルがコスモポリタンなジジイだろ
生まれ持った性質
シベリア抑留での助かったエピソードと言えば、あまりに若くてひ弱で「真っ先にあぼんしそう」という理由で
ロシアの将校の保護欲をくすぐり、お付きになって家族ぐるみで大事にしてもらったお陰で助かったというのを思い出す
長短どちらでも人と違う何かが生死を分けるんだな
「最強の武術は社交力」とはよく言ったもんだ
庄屋さんって村長さんの家だったのか・・
醤油とか売ってる大きい商家さんかと思ってたわ・・・
芸は身を助けるじゃないけどやっぱり手に職は付けてた方がいいってことだな。
身体弱いのに終戦間際といえども良く生きてたもんだ。
一応突っ込んでおくと、出兵は「軍隊を派遣する」という意味だから。
この場合は出征というのが正しい。
体がでかくて丈夫なのに、身体検査で引っかかって出征しなかった伯父がいたけれど
あれは絶対に仮病だったのだと思うw
警察官なのに豆腐メンタルだったし
話の内容より「庄屋さん」を知らない人が居る方が衝撃
※6
それは醤油屋だwww
でも「○屋」って書くからたしかにお店っぽいな
やはりコミュ力が全て
正確な意味は知らなくても、庄屋なんて初めて聞いたって人の方が居ないと思うぞ
庄園(荘園)の屋敷が転じて庄園管理者から村長の意味になった
庄園ということで西日本に多い
(言えない、床屋と読み違えてたなんて恥ずかしくて言えない…!)
※6
分かるぞ
私もでかい醤油樽があって米備蓄している大店(紺色の前掛けしている)
または豪農の最強クラスのことかと思っていたわw
勉強になった
英語講師が生徒を大勢見てきた中で
英語ができる人というのは、考え方が柔軟で
自分が体験したことのないルールも、すっと受け入れることができる人だと言ってた。
じいさんの知識欲やお洒落な風情も
固執せず、柔軟に何でも受け入れてきた結果だろうね。
あの時代に飄々と生きることができるなんてカッコイイわ。
※15
仲間
やっぱりいつの時代もコミュ力の高い人は強いのね。
普通、戦前の庄屋の家系なら、旧制中学校か師範学校以上、旧制の大学へ進学するのが当たり前。
医者と教師が多いのも特徴。
庶民は小学校卒が当たり前の時代にね。
庄屋は村の中で一番デカい家ってぐらいの認識だったわw
イギリス人やアメリカ人と仲良くなったことよりも
ボロボロの服の仲間の中で一人だけ礼服なんて状況で
仲間からも認められてたってそっちの方がすごい。
なるほど、地元の名家ってところか
だからバイオリンなんてもんを習わせてたんだな
「ほ~ん、村一の床屋さん家の長男はそんなに重宝される存在なのか、刃物の扱いに長けているからなんだろうか?」
庄屋?知りませんよ・・・
こういう話はもっと読んでみたいな
※14
荘園が語源だったんだ。勉強になりました。
※21
認識は間違ってないぞ
庄屋さんは、江戸時代は膨大な土地をもって小作人を使ってた立場
維新後に土地を小作人に与えるから、めちゃくちゃな金持ちではなくなった
明治期で大学まで出せるは庄屋と代々土地持ちの農家だけ
うちのジジも山田耕作と書生仲間で卒業後はジャパンタイムズに勤めたらしい
村の中でええおうちくらいの認識でかまへんかまへん
せやな、 >414 くらいの認識で問題無いやろ、実際それほど間違ってもないしw
ボロオロの中で独りだけキンピカなんて、当時の人からすれば耐えられんと思うが
それが例え自分自身で勝ち得たものだとしても
なんか報告者も若くて浮かれてるし、なんかなぁ
イギリス兵と渡り合って有利な条件(食べ物とか)を持ち帰ってくるのだから、日本兵にも大事にはされるだろう。
コミュ力って大事だねぇ。
地域によって微妙に定義や呼び方が違うんじゃなかったっけ
うちのほうだと農村であたり一帯の土地を所有してる地主が村のまとめ役の村長さんで庄屋みたいな感じだったはず
農地改革で国に土地を取り上げられたって祖母がよく言ってたって話をしてたらネトウヨらしきある中年男性に苗字にとある漢字があるせいか在日呼ばわりされて、あんたらの土地じゃないんだぞ、となぜか説教をされたなぁ
※32
そのネトウヨの頭の悪さすげえなw
絡まれて乙としか言えんわ
>野ブタは巨大すぎてつかまらずむしろ返り討ちに遇い、
一瞬吹いたが野ブタってブタとついてても野生化してれば半ばイノシシみたいなもんだろうから
しかもデカいんじゃ猟師でもない素人じゃそりゃ無理だよね
※32
確か西日本だと庄屋、東日本だと主に名主(なぬし)だったと思う。
身分的には農民だけど、村落の長として苗字・帯刀する者もいたとか何かの本で読んだ。
(すまんが本の題名は忘れた)
自分は高度経済成長期ごろまで世襲してたとこがあったのかとそこに一番びっくりした。
苗字・帯刀というのは、公式の場に出て苗字を名乗れたり、二本の刀を差せること
江戸時代の百姓でも苗字を持っていたり、刀を差すのは良くみられたが非公式なものだった
将軍、旗本や大名など領地を持つものが、庄屋・名主や功労者などに特別に苗字を認めた
帯刀まで認められるのはさらに一段上の名士であった
一代と世襲があり、武士ではないので通常その領地内での権利である
緋の稜線って漫画のストーリーに似てるなぁ。
※34
ブタはイノシシと交雑可能だし、野に放ったらあっという間に野生化するからねえ…
うちの父方実家も庄屋なんだけど通じなかった父と同じ
地元なんだけどなあ
豚は猪と同じ生き物だゾ
それよりも和風の味付けで美味しくなると思う大型爬虫類の肉、食べてみたい。
ワニなら食べたことあるけど。
※30
そうか?
このおじいさんが言葉が通じて、仲良くなったおかげで捕虜の命が無事だったって可能性もあるよ
捕虜には容赦なくて(強制労働や待遇的な意味で)、それで亡くなった兵士もいたっていうから
うちの祖父も捕虜になって、なんとか生き残ったけど、亡くなった人多かったって聞いたし
対人スキル高いだけでなく頭もやわらかい様子
敵に軍の礼服をあげるなんてすごい話だな。
写真とか残ってるなら何処かで公表してもらいたいな。
米6
おなじく商家だとおもってた
一休さんに庄屋さんっていたよね
ってぐぐってみたら桔梗屋さんで、米問屋でした
床屋って読んでたわ
※4
捕虜じゃなくてアメリカ人同士の話だったと思うけれど。
本人は前線を希望するも、小柄な体躯なので料理係にされる。
その男の料理があまりに美味しいので、他の上官に取られる。
前の部隊が大ブーイングでスト状態になって、というようなエピを聞いた事が。
やっぱり「芸は身を助く」なんですね。
※6
ドンマイ!
うちの田舎の本家は江戸時代から名字帯刀を許された庄屋らしいけど、
醤油と酒も造ってたらしいから、必ずしも間違ってないよ
これが村中で一番モボだと言われた男の実力か・・・
戦中のコミュ力・特技持ちと言うと水木大先生だなあ。
原住民と仲良くなり、妖怪の絵を描いて(紙は貴重なので土の上?)
うちにもいるいる~というトークをしていたそうな。
マラリアやら腕を飛ばされ寝込んでも、食べ物の差し入れで生き延びた。
素敵なお話だとは思うけど、バイオリンって誰に習うの?
いまだに田舎じゃ~なかなか先生や楽器屋がいないと思うんだけど
※50ですが水木先生のご冥福をお祈りします
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