2016年04月11日 02:05
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チラシの裏【レスOK】 十五枚目
- 731 :名無しさん@おーぷん : 2016/04/09(土)18:32:20
- おばあちゃんから聞いた、実に75年前の衝撃体験。
当時、『会議は踊る』というドイツ映画が人気だった。
テレビのない時代だから、小さな町にもたいてい映画館があって、今のお金で500円くらいで見られた。
『会議は踊る』は映画そのものより、劇中歌の「ただひとたびの」という歌が大流行した。
(ジブリの『風立ちぬ』の挿入歌にもなっている。邦題は「ただ一度だけ」とかいろいろある。
「ただひとたびの」は祖母の記憶)
貧しいヒロインが皇帝からのお迎えの馬車に乗って、町を駆け抜けていくという華やかなシーンがあって、
少女だった祖母や祖母の姉は、なんて素敵なんだろうと憧れていた。
昔の家庭は、たいてい1人や2人、下宿人や居候がいた。
今のようにアパートで独り暮らしというのが事実上不可能だったし(台所からして薪で竈だから)、
下宿屋もあったが、基本は「困ったときはお互いさま」だったらしい。
祖母の家には、祖母の父親の知り合い(以下、おじさん)が下宿していた。
毎日どこかへ出かけていくほかに、何日も帰って来なかったりすることもあったが、
祖母姉妹は子供だったから、何の仕事をしているか知らなかったし、気にしなかった。
それよりおじさんは優しくて話が面白くていっぱい歌を知っていて、ずいぶん遊んでもらった。
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- 732 :731 : 2016/04/09(土)18:33:22
- ある日、そのおじさんが祖母姉妹に「何か夢ってある?一度はこんなことをしてみたいとか」
と聞いた。祖母姉妹は「『ただひとたびの』みたいに馬車に乗ってみたい」と答えた。
外国の映画みたいになってみたいというのは、昭和初期の庶民の子供には夢のまた夢。
数日後、出かけていたおじさんが、馬車、荷馬車でなく、
まさに「ただひとたびの」に出てくる客用馬車を連れてきた(むろん馭者つき)。
祖母の家族だけでなく、大げさでなく町じゅうがびっくりして見物に出てきた。
その中で、おじさんは祖母姉妹に貴婦人にするように手を差し出して馬車に乗せた。
そして、映画と同じように、町じゅうの人、畑に出ていた人、みなが目を丸くしたり追いかけて来たりする中、
隣町まで(話を聞いて地図で見たら、6キロくらい)往復した。
祖母姉妹の興奮したこと、晴れがましいこと、
「映画みたいに沿道の人に手を振ったわよ。みんな振り返してくれたわよ」 - 733 :731,732 : 2016/04/09(土)18:34:10
- 実はおじさんは、ピアニストだった。よそにピアノを置いた部屋を借りていて、時々演奏旅行に出て、
生活の面倒を祖母の家で見てもらっていた。
馭者つき馬車のチャーターなんてものすごいお金がかかるのだが、
良いギャラの仕事があったとかで、ふだんお世話になっているお礼、だったそうだ。
祖母にとって最も美しい思い出のようで、今でもドイツ語で「ただひとたびの」を歌っている。
興味のある方は、You●ubeで『会議は踊る Der Kongress Tanzt』を検索してみてください。
(よそのサイトのリンク貼っていいかわからなかったので)
https://www.youtube.com/watch?v=r8N7OXCDsh4 - 738 :名無しさん@おーぷん : 2016/04/09(土)18:45:51
- >>733
想像するだけでとても綺麗な思い出だわ
おばあ様の宝物な思い出ね
おすそわけありがとう
コメント
これはいい思い出になっただろうなぁ
お婆さん姉妹ヤラヤマ
※1
ヤラヤマwww
なんかツボっちゃったよw
ドイツとインドを読み間違え、最初ずっとインド映画だと思って読んでいた。
インド映画特有のインド人が歌い踊りながら馬車に乗って・・・みたいなのを想像してたわ。
素敵なお話だね
ありがとう
本当に素敵だけど…夢がそんなに早くあっさりと叶ってしまったら、それ以後の人生がつまんなくなっちゃうんじゃないかと心配してしまう私は貧乏性?
幼い頃に遊園地行ったら、それ以降、遊園地が楽しくなくなるタイプ?
貧乏性というよりちょっと心に問題があると思う
素敵なお話
738の「おすそわけ」って表現もきれい
75年前なら日本がドイツと同盟を組んでおり、それでああなってこうなって日本がアメリカに宣戦布告したかどうかって頃だね。
戦争は日露・日中と続いていて、それでもまだ日本国民は平和に暮らしていたけど、一部の人達は戦争のきな臭さを感じていたし、すでに真珠湾攻撃していたとしたら「マズイ事になるかも?」という予感というか予想はしていたから、ピアニストのおじさんとしては「いつか・・・」という先がどうなるか分からない事より「今こそ」という思い切った「お礼」をしたのかも?
あのベジタリアンのおじさんが歌ってたやつかな?
いつ、酷い展開になるかとハラハラしたw
美しい思い出の話で良かった。
幼いお嬢さんの夢をかなえて、素敵。
あの曲は映画史に残る名曲
昔NHKでやってた映画音楽ランキングで並みいるカラー映画の中で二位になってた
(一位はエデンの東の曲)
素敵な話だね。
※5さん。貧乏症というより心が貧しいと思う。
※5
夢や欲望が一個きりしかないの?
叶えば次の夢を見るもんでしょ?
大体少女時代の夢が大人になってから叶ったら嬉しさ倍増する?
大人になる頃にはその夢を忘れてるか夢が変わってるかもしれないのに。
貧乏性っていうか自らを不幸にするタイプだね。常に粗や不満見つけてぶーたれてそう。
素敵な話だね
美しい思い出は、その後の人生でもずっと宝物のように大切になるだろうな
そして、色褪せない宝物は、時に自分を支えたり満たしてくれると思う
レトロモダンな素敵な思い出ってそんなに古い話じゃないね
いやーいい話だね
本当に美しい話だ
子供の頃の思いがけない素敵な経験って人生を豊かにするよね
インド映画で踊るヤラヤマって
※1,2,3は反省しろwww
会議は踊る、されど進まず。むしろ最悪と言っていいような
そんなウィーン会議がロマンチックになるんだからなあ
75年前というと、日中戦争は始まっていたけれど、まだ気持ちに余裕のあった時期だね。
この後の戦争の事を思うと、ちょっと切なくもなるね。
まさに歌詞にある、おとぎ話が現実になった、だな
なんか短編童話に出来そうな話で、滲み出るノスタルジックさがいいね
ピアニストのおじさんの洒落た計らいと優しさにほっこりするわ
※3でせっかくの綺麗な話が一気にマハラジャに
※18
もう踊るマハラジャしか出てこねぇw
>9
もうずっと泥沼の日中戦争が続いていたんだけど。
真珠湾攻撃から日米戦争になって、世の中が急に暗くなったような書き方だね。
日露戦争直後から、アメリカは日本と戦争するシミュレーション「オレンジ計画」を立てて、50年毎年更新して戦争する気満々だったんだけど。
あげくにこの当時はABCD包囲網で経済封鎖されていて、石油など止められ始めていた。
戦争をした事は辛い事だけど、どうやったら当時の問題を解決できたのかね?
安全圏にいて上から物を言うって、パヨクみたいで気に入らないわ。
御伽噺のような楽しいお話、堪能させてもらいました。
当時の下宿人話は、大工だった祖母宅話で散々聞かされてたので
件のおじさんも、さもありなんって感じですんなり受け入れられました。
映画化もされた「小さいおうち」って小説を連想しました。
映画ではばっさり削られた、「意外と豊かだった戦前の昭和」が感じられるお話ですね。
素敵だなぁってしんみりしてたのに上の※でだいなしだわww笑った
映画も見てみたいな
※25
そりゃ支那の裏には最初から米帝がいて航空機供与どころか義勇兵扱いで
航空隊丸ごと持ち込んで日本を騙し討ちしていたわけだけど
オレンジ計画にせよ当時の一般庶民がそんな事知る由もないわけで
当時の人が気づかなかった事実持ち出して安全圏云々なんてそれこそ
あんたの気に入らない人とやらの言動その物じゃありませんかねえ?
素敵な思い出だし、良い孫もいて幸せだねばあちゃん
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