2018年04月10日 02:05
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1521658289/
何を書いても構いませんので@生活板59
- 703 :名無しさん@おーぷん : 2018/04/08(日)22:50:34 ID:nsF
- 農地改革で落ちぶれた母方実家の話
よくある話なんだろうけど
曾祖父は村一番の地主だった
地主といえば裕福なイメージだけどそれは農業だけでやっていける豊かな村の話
曾祖父の住んでいた村(埼玉北部)は険しい山奥の痩せた土地で
農作物はとれず養蚕で食べていた
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- 養蚕が主産業の村は大抵貧しい。
農作物がろくすっぽ採れないのに子だくさん家庭が多く
物価が上がるか、生糸の買い取り値段が下がると多くの世帯が破産寸前に
村の名士としては助けないわけにいかず借金の肩代わりしてあげたり
村の子供に雑用頼んで御駄賃払ってあげたり持ち出しばかりだったそうだ
特に貧しい村人を小作人として雇い給料を払ったり
本当は小作人を何人も雇う余裕なんてなかったのに - 704 :名無しさん@おーぷん : 2018/04/08(日)23:02:37 ID:nsF
- 太平洋戦争が終結すると農地改革が実施され
困窮している村人を小作人として雇い入れ大部分の畑を耕させていた曾祖父は
ほとんどの土地を失い村一番の貧乏に
転落した曾祖父一家を見た村人達は掌を返して嘲笑い始めた。
借金を肩代わりした曾祖父の手をとってこのご恩は一生忘れませんと泣いた村人も
養蚕よりずっと割のいい給料で雇ってくれてありがとうございますと頭を下げていた村人も
世話になったことなんかすっかり忘れて
曾祖父夫婦をガン無視、聞えよがしに馬鹿にする
祖母の漫画や人形を借りて祖母のお下がりのブラウスを貰い受け
祖母と仲の良いことを誇っていた級友達はみすぼらしくなった祖母を馬鹿にしてばい菌扱い
嫁に行くまで村中から苛め抜かれた祖母はすっかり人間不信になってしまった。
学校の歴史の授業で小作人は地主から搾取されている可哀想な存在で
農地改革は不公正を正す改革だったと教えられ
祖母と聞かされた話とあまりに違って驚いてしまった
コメント
コレ分かるわぁ
報告者の家ほどじゃないけど(村一番の地主ってほどじゃない)
農地改革で土地貸してた人に、無料同然で今まで彼らに貸してた土地をぶんどられて
その倍額ふっかけられて買戻しさせられたとかね…
(その家族はその金で埼玉だったかそのへんにいった)
小作人としては土地に縛られなくなったんだろうけど
土地を持ってた人は不本意だよなぁと思う
私の曽祖父も亡くなる間際まで怨みに怨んでたしw
代々やってりゃ相応に積年の何たらはあるがな。
ウチの母方の系譜も庄屋の流れをくむ地主だったがそんな話はない。
むしろ小作人の世話をする必要がなくなって楽なったそうだ。人徳の差だろうな。
貧すれば鈍するわけでそういう土地柄、民度が酷かったんだろうw
ある意味、みな平等になったんだから農地改革は概ね成功だよ。
小作人は代々小作人で貧乏だったからなぁ
今でいうワープアだぞ。
そういう連中は会社が悪い、社会が悪い、政治が悪いってよく嘆いているだろ?それと一緒さ。
祖母が話を捻じ曲げてる雰囲気がすごくするけど、まあ今となっては真相はわからんな
うちの母方実家も農地改革で没落した旧地主兼庄屋
そのせいで経済難に陥って男は家に残ったが母たち姉妹は自活すべく東京に出てきたらしい
だけど恨み言は誰からも一言も聞いたことないなぁ
昔話もよくある話みたいに淡々としてるし近所の元小作人衆とも揉めた風じゃないし
ちな栃木の話ね
戦争に負けたのだからしゃーない
ソ連に占領されて全部とられるよりはマシ
うちのばあちゃん(故人)も、生前「国に土地ぶんどられた」って恨み節言ってたなぁ。
これが美しい国日本
うちの両親も同じ
米欄でも同じ家がいっぱい有って少し嬉しい
こんなことは普段は言えないし
意地をはるなよ貧乏人
常に下を向いて生きろ
金持ちに媚びへつらえ
権力の力の前に土下座しろ
貧乏人に親切にしたら死ぬまで齧られるって話
母方の祖父母も農地改革で土地を取られた口だが
改革前にかなりの土地を住宅用に転用、アパートを
立てて国に取られるのを防いだそうだ、それこそ祖父の
人徳でお偉いさんから早めに情報が入ったらしく、家賃収入
のおかげさまでそこまで損はしなかったそう、ちな埼玉ね。
農地改革でかなり取られたらしいけど小作の人達から御中元やら御歳暮とか旅行のお土産もらってた
小さい頃は床の間に山積みされてる贈答品の意味も知らずにカルピスにウキウキしてたな
殆どが代替わりしてそういうのも無くなったけど未だに古い人は本家扱いして農機具とか借りにくるよ
地主なりの苦労もあったんだろうけど
地主達が代々の利権で生活し、村をまとめ、
小作人に指揮命令していたんだろうし
大部分の小作人達は下剋上も出来ず、地主達を下から見上げ
頭を下げてただろうからなあ・・・・
これ、日本の弱体化政策だぞ。これで日本の農業は破壊された。
農地改革や財閥解体で、日本が欧米の脅威とならないように、
下層階級が喜びそうな甘い言葉で民衆心理を利用し扇動、
軍事だけでなく、経済、産業などの分野に及び競争力奪い日本は弱体化させられた。
農地が細分化されたせいで日本は大規模農業が行えなくなった結果、
生産力を落とし食糧自給力を失い、輸入に頼らざるを得なくなり、その弊害は現在まで続いている。
やっぱり日本人の心は昔から脈々と生きているんだなと思った
2015年の、CFRの、「中国に対する国家戦略の変更」とか何とかいう報告書を探しておくといい
小作のひもじい暮らしを誰かが改善する必要があったのも確か
史実のような農地改革でなくても、誰かが大なたを振るっただろう
タダで分不相応なものをもらった人間は大抵厚かましくなるし
かつての自分と同じ生活レベルの人間を見下してくるよ
自分は労せずにこれだけの財産をもらって当然な人間なんだ、と勘違いしちゃうんだろうね
元が浅はかな奴や学のない田舎者なら尚更
※14
政府系の広告宣伝やネット(工作)が本当か嘘か判断つかないのであれば、
福島産の肉か牛乳、もしくは乳製品で牛乳成分が濃そうなチーズか何かを調達して
自分で食べて鑑定しておくと今後役に立つはず
こういう記載をすると、それに合わせて工作かけてくるから
こういった記載を見た後に、この手法が使えるかどうかは微妙なところだけども
GHQは共産主義だったらしいからね。アメリカが中国に肩入れしたのもそうでしょ。ソ連とも手を握ってたし。
んでそのころに棚ぼたで土地を手に入れた連中が「先祖代々の土地を!」とか言って助成金分捕ったりしてるんだから手に負えん
うちは銀行家だったらしいけど、同じ感じだな
ちゃんと金返したのはお殿様だったって伝えろと言ってた
戦後のアメリカはソ連が敵で
世界中で起きてた共産革命との戦い
日本では本来共産主義者が火をつける土地解放を先にやってしまい
起こり得る共産革命の芽を摘むのに役立った
発生した新しい農家は保守の自民党の支持層となり
元小作人どもがやる先祖代々の仮想物語は
保守との分断をはかる共産革命への壁となる
うーん、2市以上レベルの土地を接収されたが
今でも年寄りからは「●●様」扱いされるので地域によるんでしょう
むしろ県会議長やってた親族が亡くなって、政治屋とすっぱり手を切ったら
お歳暮が100分の1くらいになったのは笑った
所謂地主の人って、土地を失っても別の事業で成功したりしてる人もいるのに、努力せず恨み言ばかりって情けない一族だね。
私の実家もほぼ同じだった。
曾祖父は、村の人の借金を肩代わりして、どうしょうも無くなって自死
土地は村の人に分配して、祖父は戦争から帰って来てから大変苦労した。でも
借金の肩代わりしてもらった村の人達は、実家を粗末にはしなかったのがちょっと違う感じ。
※26
これが本文も碌に読まない文盲ですか。
あ、読まないんじゃなくて読めないのか。
農地改革で農地法ができて、それが今じゃ逆に悪影響を。
農地が貸せなくなっちゃったから、農業始めようとしたら農地買わなきゃで
買うのもめんどくさくてややこしい手続きが山ほどあるもんだから
農業を始めるための敷居がむちゃくちゃ高くなってる。
当時としてはそれだけの大ナタを振るわなきゃならない理由があったんだろうと思ってるけど
大ナタは加減ができないのが問題。そして今でも色々引きずる…
農地改革といっても、在地地主だったら最低でも1町歩は残されるし、
小作人を雇わず自作している分は取られないから、極貧ってことにはならないとは思うが、
まあ、実際に見たわけではないから分からん。
嘘 松ばっかやな。何人昔は地主だったってやつばっかなのwwwww
マジで貧乏な人にはタダで貸していたらしい
貸していたというよりも使いにくい土地を耕すのを黙認していたから小作料は徴収しなかった
結果その土地は小作とは認定されず極貧な人はその土地を手に入れる事は出来なかったらしい
地主だった祖父母にはそんな屑同然の細切れ土地のみ残ったという
※30
そういう普通の農業ができる土地柄ではなかったって書いてあるだろうが、文盲。
普通の農業ができる土地じゃないはともかく、農地が周囲も自分も同じ面積になっただけで、なんで凋落して村で一番の貧乏人になっちゃうの?周囲の人たちより自分だけが貧乏になるわけないじゃん。周りと同じ程度の貧乏人になるならまだわかるけど。
たぶん土地を徴収されなくても
「小作」「地主」みたいな不平等な関係はいずれ是正されただろうし
戦後になっても自分の土地にもならんような畑を耕す意味はないから
農業改革がなければ村人みんな街に出てサラリーマンになったかもしれない
そもそもが歪んだシステムだったんだよ
うちの地域の元地主さんは
703さんご先祖様のような人で
いまだに尊敬され一目おかれている。
農地改革後は会社経営して成功。
奉公人が社員として働いて定年まで勤め上げてた。
ご先祖が真面目な奉公人で分家扱いにしてもらった家系とか
追い出されて奉公人分家に世話になって独立した家系とか
10数家、近在にある。
末席な分家筋な私実家が知らない事が
元地主家でも色々あったらしく
郷土史を研究している人が尋ねても
昔の話は一切拒否られるそうだ。
※31
地主って言っても規模は大小さまざまだからね
小さな村でも小地主は何人もいたわけだから、「元地主の子孫」が多数いても変では無いよ
単価が安い、ブランドが ない、土地が痩せてる
そういう土地柄の民度は低い
スイカやイモや綿作ってるとこな
米絡みの豪農がいるとこは原発と大物政治家がいる
元小作農が誘致する
これ豆な
戦前は小作保護制作のために大規模な農場経営ができなくて大農家の経営が圧迫されてたし
戦後は農地改革のせいで変な米農政が続いているし、野菜などの価格も安定しないんだが
他人の転落は娯楽になるからねえ
我が家も地主だったが農地改革で家の周りの土地以外はすべて失った。
一気に貧しい生活になったが祖母はグチは言わなかった。
母の生活は周りの小作人の家よりとても貧しくなったと言っていたなあ。
※41
なんで周りの小作だった人の家より貧しくなったの?
農地改革で田畑取られたは、戦後あるあるでしょ。
うちのばーちゃんも正直に貴金属を国に提供してしまって何も残っていない。
まーたネトウヨの嘘☆松か
田舎ならこんなの身近によく聞く話だけど
今の若い子は3世帯同居もしてないだろうし
知る機会もなくなっているんだろうね
義父母同居を嫌がる若い夫婦も多いけど
祖父母世代の若い頃の昔の話や若い夫婦が知らないマナーの話なんか聞けて
子供のためには同居の方がいいね
うちの祖母と似てる
農地改革で土地を小作人に二束三文で売らされたって何回も愚痴を聞かされた
マッカーサーが大嫌いらしい
飛んで埼玉みたいな土地だから仕方ない
うちも。
それから何十年たってその人達が土地を売って家やら何やら建てられた時、
耕してくれると思ったからこそ納得できたのに。と祖父が言ってた。
※14さんの話、勉強になった。
※42
小作農、つまり農地を借りて農業やってる人は、借りてた土地が自分のものになった。
逆に言えば、自分で耕してない土地は、自分のものにならなかった。
農地を貸してその小作料を収入にしてた地主は、それを全部失った。まあ、自分と家族が
鍬持って耕してる農地があれば別だけど、そんなことはまずなかったし。
戦前からの自作農はもちろん自分の農地があり、小作農も小作料が不要になったわけで、
そんな中、他に職業の選択肢がほとんどない純農村で、全く農地を持ってない生活が
どうなるか、ってこと。貯金もほとんど無価値に等しくなったし。
ただ、山林は解放なんてことなかったんで、山持ちはそのまんまだったが。
>>43
貴金属隠してても、隣の家や近所に密告されたらしいよ
ソースは、俺のばあちゃんw
※40
※14の言ってることは極端だぞ。
農地改革自体は、戦前から農林省の悲願だった。
GHQが
「この際、何かやりたいことあるか?」
と聞いてきた時に、迷わず差し出したのがこの政策。
で、GHQが「宜しい。ドンドン行け」で推進した。
地主から農地を安く買って公債で支払い、農民に貸し付けを行ってその土地を買わせた。
そして戦後のハイパーインフレで公債は紙くず同然になり、農民の貸し付けはあっと言う間に返済された。
問題があるとすれば、このインフレを見越して公債での支払いと貸し付けを行ったこと。
↑農林は、大蔵が戦時公債をチャラにするため意図的にハイパーインフレ誘導することを知ってた。
地主達はタダで小作へ土地を分け与えたも同然になった。
※47
翔んでも書けない、
所沢も秩父も一緒にしちゃうような埼玉エアプなのに
なんで煽ろうと思ったの?
ガチな農村に住んでいるけど、ちょっと納得できないというか、その爺さん婆さんが話を自分の都合の良い方向に盛っている可能性はかなり高いとは思った。
書いている人いるけど、取り上げられても最低1町(10000㎡)は保証されたし、1町2町といえば、戦後間もなくの基準だと、やっぱり結構な土地持ちだよ。いきなり他より貧乏ってない。同じならまだしも。
それに、農村って今ですら都会では考えられない階級意識と地縁血縁があるから、戦後にいきなり手のひら返しってできないよ。その地方の名家は何代も名家同士で嫁入り婿入りを繰り返していて固いし、分家(今で言うただ単に次男三男が独立するというのとは違う本来の意味の分家)もあるし、単に経済力だけでない支配従属関係ができあがってる。教育レベルも名主階級と小作人階級だと、今の東大卒と中卒フリーター以上の絶望的な開きがあったし。
自分の知る限りだと、農村の豪農で落ちぶれるのは、教育・教養があったがゆえに、教育・教養のない農民たちに、徐々にいいように食い物にされてってパターンが多かったかな。戦後というよりむしろ高度成長期に。
こびへつらい腹の中で舌をだす。昔から変わらない。
これはあくまで推測だけど、1の家は、地主と言っても昔ながらの名主・庄屋の類じゃなくて、金貸しだったんじゃないかな。借金肩代わりしてやったというのも、債権(前借金)買って、それで小作人労働をさせていたというなら、まさによくあった話で、それなら戦後掌返しは十分ありうる。
ちなみに、明治時代の土地台帳は今でも法務局で原本見られるんだけど、殆どは不在地主の持ち物で、あとは在郷の名主さん的な名家のもの。在郷の農家の場合は、山(農地開放対象外)も持っているし、それまでに溜め込んだ有形無形の資産もあるから、いきなり没落はない。養蚕しかないような山間部だったら、山(農地開放対象外)も持ってただろうし。
「うちの家は昔は羽振り良かったけど農地開放で~」ってのは、全部が嘘とは言わないけど、かなりの部分が現代版の平家落人伝説みたいなもんだよ。
自称痔主が多いのは背乗りが着々と進んでいるからなのかな
うちの土地使わせてやるからお前ら土下座して喜べやこの小作人どもが!!ってノリだったんだろうね
うちももともと地主だったって聞いた。ただ土地とられてもしゃーないかって感じで恨みとかは聞いたことないな。一回没落しかけたけどひいひいじいさんだったか、その前後くらいの人がかなり優秀だったらしくて持ち直したとか。今じゃ固定資産税払うので毎年たいへんだよ…
※53私も思った。もしくは※54なのかな。
十人十色って感じでその家によってどうなったかなんてピンキリだろうし
よくわかんないけど
余程村の人たちと交流してこなかったかあくまでも地主と小作人って関係でいたか?
村の人たちの性格が皆悪かったのか。
今もその村はあるんだろうか。潰れてるといいね。
うーん 雇ったり肩代わりしてくれてても、あまりいい地主さんじゃ無かったんだろうね。何もなければ其処まで酷い扱いうけないよ。
うちの田舎も数十代続いてるけど、気前のいい人が代々当主だったらしく
村の人からはものすごく慕われて尊敬されてる
温泉や旅館、駐在さんや郵便局とかありとあらゆるインフラを親戚中で
もってるせいなのか、でもどっからも悪口聞いたことないんだよな
やっぱ人柄とか気前がいいとかそういうの影響してそうだけどな
当主っていうか、家族や親戚中が真面目でいい人ばっかだからあれだけど
我が実家も地主で昔は配給所やるレベルで栄えてたけど農地解放でほぼ土地なくなって一般家庭になったよ。
ただ小作人さんたちと関係はめちゃくちゃよかったらしく今だに小作人さん一家とは交流ある。さすがに上下関係はないが。
占領軍って馬鹿だから忌地も田畑も一緒くたにして等分割して分けやがったから
それまでは美田でおいしいコメ作れてたのに名義ばらばらで田んぼ潰して何かするにも縦長で使えない、ぽつぽつと田んぼや畑の間に家が建ってるというわけわからんこの先使えない土地に成り下がったよね。
水利権ってのがまた分割されてしまってもうわけワカメになってるわ。=大雨で畔がこわれる耕作放棄地があちこち飛び地であるからえらい被害が出る。
農地解放でもその地方に住んでいた地主には1町歩(北海道4町歩)が残されたけど
1町歩では小規模な農業しかできない
当主が戦争行って不在とか、農地が残らないケースもあった
また、地主自身が田畑を耕さないで、後の農協のような経営を担っていたりすると
農地解放で地主自身が農家やれというのは無理があった
農地ならどれも同じというわけじゃなくて当然良し悪しはある
高スペックの田畑は専業のスタッフ、つまり小作人に任せているケースがほとんど
地主は山の上の方(洪水対策とかあるので山とか丘の上が高級住宅地)に住んでいて
自分が耕すのは低スペックの畑を少し、というのが多く
農地解放の結果、高スペックはすべて取られて手元に残ったのは低スペックの農地のみ
書類上の面積は一緒になったといっても実際は専業で食っていけるものじゃなかった
自分の村に住んでる地主(在村地主)と、金あって都市部に転居した地主(不在地主)じゃ、
小作人との関係も違ってくるから、一概に小作人が地主に搾取されてたとは言えないというのが
昨今の研究結果、また関東、関西、東北地方それぞれでも関係性が違うという研究が出てる。
今の教科書では、もう一方的に搾取されてたなんて書いてないはず。
そもそも関東圏って言うほどの大地主っていたという話聞かないんだが。
専門の研究者に聞くとある程度類別できるけど、教科書に書いてある程度の内容じゃ、
個別の事例としての地主の戦後の盛衰が、
その地域においてどこまで一般的だったかなんてわからない。
うちもうちもー!やっだー、よくある話なのね。通貨切り下げも、インフレも、農地解放も、クタバレって思ってたわ。
運がないときはトコトン運がなくて、土地手放した途端にバブルで急上昇なんて、昭和の地主アルアルよ。
ウチは一時的に地域の郵便局長と警察の長におさまれたけど世襲が廃止されたんで、結局は一族で東京出て来て、サラリーマンやったり起業したりよ。血族はどこの家も年収1000万だけど、都会ではビンボー。カナシー。
小作人ってのは、貧乏サラリーマンに。
地主ってのはエリートサラリーマンに、おさまったりするのよ。
結局、最初の教育資金があるかないかで、未来が変わってくるのよね。
人より学校行かせて学ばせた分だけ、稼ぎも増えるのよ。
ただし、商人になって儲け出す方が数倍金払いは良いので、地頭良くって商い出来るなら起業→不動産に転換がベストの選択よね。
昭和中期に駅前の土地押さえて、その上で飲み屋開いて30年頑張った叔母が一番儲けたわ。
官僚になった我が家は、選択間違えたね。それだけの能力と労力かけるなら、医者で開業か、民間行けば良かったわ。
あとさあ、教科書に限らず、そういう情報って誰かがそう言っておきたいから啓蒙するんだよ。意図があるのよ。
現実と教科書ってさー、そういうもんでさー。教え込みたい内容と、現実過去は違うって、分かりなよー。
今の日本の惨状をもたらした経済政策は、戦後弱体化させられた富裕層による、庶民への復讐か。
こういう展開、けっこうあったんだってね。祖母が捻じ曲げてる雰囲気て言ってるやつ、頭わいてるわ。もうちょっと勉強しようよ。
こういうのがあったって慰めている人が多いだけだよ。全然ないとは言わないけどね。
農村いけばわかるけど、本当に昔からの名家はそのまま名家だし(今も金持ちかどうかは別)、農地開放で落ちぶれて消えていったのは殆どは明治以降の新興だよ。
だいたい、「養蚕が主産業の村は大抵貧しい」ってのが嘘だしな。
お蚕様といって、それはまあ儲かったそうだ。
平屋しかない時代に、蚕のためだけの二階が作れたんだから、推して知るべしだな。
うちは埼玉西部だから、事情は似ていると思うが、この話はほとんどでたらめ。
※72
儲かったって明治大正まででしょ
昭和に入ってからは絹糸余り
うちの婆さんは元小作人と境界線の事で裁判して負けたって言ってたな
その小作人の1人が凄い田舎だけどデカイ家建てたんだよ
でもアイツは昔は〜的なのがあったのか建築中に放火されて玄関部分を焼かれたり門扉焼かれたりしたと聞いた
ちなみに犯人は婆ちゃんじゃ無いよ
とっくに早死(50代)してたから
それで裁判した相手(40代)も婆ちゃんが死んで半年も経たずに頓死したよ
え、終わり?
父親の実家がまさにこれ。
農地改革で土地とられ、生活困窮。
家を半分バラして材木にして売り、飢えをなんとかしのいだそうな。
排水溝の跡だとか、当時の遺構を見ることができる。
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